近年の砂漠化拡大の原因は明らかに人為的なものだ。気候の変動により砂漠化している地域も含め、何らかのかたちで人々の生活習慣・生活様式などが係わっている。

 私たちの活動している中国内蒙古自治区の砂漠化に対する最大の要因はヒツジ・ヤギの過放牧である。これは自然の回復能力を上回る数の家畜を放牧することで、草が根こそぎ食べられ砂漠化するものだ。根茎も食べつくされるため翌年新しい芽が出てこなくなり、そして根がなくなることで砂の移動が起こる。露出した砂地には木や草など風を遮るものがなくなることで風が吹き抜けるようになり、あるきっかけ(木の切り株や石などのある場所)で砂が集まりはじめ、それが流動化し流動砂丘となり植生のある地までも飲み込んでいく。

 これ以外の原因に木材や薪確保のための樹木の伐採、過開墾など様々な要因があげられる。これらはいずれもその地に住む人々の生活習慣やその地の産業が大きく係わっている。そして砂漠化の進む地域には必ずといってよいほど「貧困」という問題も潜んでいる。

 貧困の原因は様々だが、私たちの活動地クブチ砂漠周辺を例にすると、農業を行なうにも少雨で植生が不安定で簡単な作物しか育たず、旱魃が起これば収穫量も激減する。だからある程度安定した収入が得られるヤギやヒツジを飼うことで生計を成り立たせることが、最もこれらの地に適しているといえる。しかし生活が十分に潤うほどの収入は得られず、粗放農業地や放牧地では貧しい人が多いのが現状だ。そういった人たちがより豊かになろうとすれば、家畜の頭数を増やすほかなく、気がつけば過放牧となり砂漠化が進み、放牧すらできない環境に陥ってしまう。こうして砂漠化は更なる貧困を引き起こし、悪循環を続けてしまうのだ。

 「砂漠化の背景」でも書いたとおり、ヤギ・ヒツジの過放牧は砂漠化の大きな原因である。特にヤギは草の根までも食い尽くすことから、砂漠化しつつある地域にも放牧できる利点がある。しかし同時にこれらの地域に決定的なダメージを与えてしまう。カシミヤはヤギの仲間。ここ数年、日本ではカシミヤセーターなどの価格が下がっているが、これは企業努力もあるだろうが、それ以上にカシミヤヤギの数が増えたことが原因である。つまり消費者がカシミヤのセーターを安く買おうとすれば、それだけ砂漠地帯(半砂漠地帯)のカシミヤの数が増え環境が悪化していくことになる。近年の急激な砂漠化とカシミヤの値段の下落はとても密接な関係がある。

 砂漠に住む人々がカシミヤをいくらたくさん飼っても、毛を買ってくれる企業がなければ意味がない。しかし、今は日本などが大量に買い付けるため、十分に売ることができる。もっとも、数が増えた分競争が生まれ、毛自体の値段が安くなってきている。牧民はこの価格差を補うためにさらに頭数を増やすしかない。こうして、カシミヤ産業は発展と共に砂漠化という問題を引き起こしてしまう。

 しかし、私達はここに砂漠を緑化する大きなヒントがあると思っている。カシミヤを飼うことで砂漠化が進み、いずれはカシミヤ自体を飼うことができなくなることを企業・牧民共に理解することができれば、新しい家畜を飼うスタイルが生まれるはずだ。今までは自由に放牧してきたが(クブチ砂漠周辺では2001年より政策により禁牧、ただし牧民達は夜中に放牧するなどしている)、牧草を同時に育てる技術を身につけることができれば砂漠は草原というかたちで回復し、牧民も家畜の数を増やすことができ企業も安く安定してカシミヤを買い付けることができる。

 このスタイルを確立するには、私たちのようなボランティア団体だけの力だけでは当然不可能である。企業、牧民、そして消費者が理解を示さないと、歯車は空回りしてしまう。私達は牧民達に流動化してしまった砂漠を草原に戻す技術を教え、それが地元にある資材だけでできることを実証することができる。企業は商品の売り上げの一部をこうした草原回復のコストに当てることで、環境対策を手がける企業としてイメージアップにもつながる。将来的には安定したカシミヤの買い付けが実現できるはずだ。牧民は過放牧を防ぐことができ、将来的な貧困を逃れることができる。また砂漠化の恐怖からも逃れることができ、環境面でも豊かになることができるはずだ。

 砂漠化の現状や問題点など、上の2項目である程度理解していただけたと思う。砂漠化の原因の多くは人為的要因であること。砂漠化には貧困という難しい問題も抱えているということ。そして砂漠化は更なる貧困を引き起こし、また貧困は更なる砂漠化を招くという悪循環になってしまうということ・・・

 やはり砂漠化を防ぎ、緑化を進めていくことがとても大切であることは地球環境、そしてそこに住む人々のためにも大切であるということがお分かりいただろう。しかし、ただ砂漠緑化を進めていけば良いという簡単な問題でもない。その地に抱えている問題、砂漠化を招いている原因などを十分に理解したうえで緑化を進めていかなければ、その活動は無駄なものとなってしまう。

 日本人は「砂漠緑化」をイメージするとき、多くの方々が砂漠に「森」をつくる姿を想像すると思う。これは、日本には温暖湿潤気候により年間を通して多種多様な樹木が存在し「森林」が身近な存在にあり、緑あふれる風景といえば「森林」を連想させるためだ。しかし、この光景を環境の厳しい砂漠に結びつけるのはやはり間違いといえる。

 砂漠でもポプラのように厳しい環境に耐えることのできる樹木であれば生育は可能だ。だからポプラの森をつくることはそれほど難しいことではない。ただし、これは砂の移動のない砂漠に近い土地に限られる。つまり最も問題とされる「流動砂丘」をポプラなどの樹木で緑化することは現実的に考えて難しいということだ。流動砂丘の中でも砂丘と砂丘の間のくぼ地(丘間地)など生育できる場所もあるが、植えたところで砂丘は移動してしまう。いずれ根が露出するか、あるいは砂丘に埋もれるかどちらかになる。こういった樹木が防風効果を持ち、砂の移動を止めるという人もいる。しかし風に乗りそして偏西風に乗り、中国から日本まで黄砂として飛んでくる砂漠の砂だ。木で風を少し防いだところで砂の移動が止まるはずがない。

 今だ多くの砂漠緑化団体はポプラの植林を行い、森をつくる活動を続けている。しかし前述のとおり、森は砂丘ではなく砂丘に近い土地につくられている。これが大きな問題になる。「緑化しやすいところから緑化する」確かにその理屈はわかる。しかしそこには今まで何とか生活してきた人々が住んでいるということを忘れてはいけない。木が植えられるところには草も生えている。つまりそこに住む人々は、そこで放牧などをして生活をしてきているということだ。こうした人々の生活の場を奪い、なおかつこの森を保護していくようにといってもそれは無茶というものだ。こういったことで、砂漠緑化団体と地元民とで対立が起こっている地域は本当に沢山ある。たとえ一時期森ができたとしても、緑化団体が撤退した後どうなるかは容易に想像ができる。砂漠緑化をすることで地元の人々をより貧困化させてしまっては意味がない。

 砂漠緑化は木を植えればよいという簡単な問題ではない。それはそれぞれの緑化団体がその地の現状をよく理解していればわかることだ。現地を知らない人たちが指揮を執って活動を進めても、本当の砂漠緑化はできない。

 砂漠緑化団体の行なう砂漠緑化活動には限界がある。これは資金的・期間的の両面の問題からいえる。資金的に見れば、寄付や助成金などで緑化を進めていくわけだが、これらの資金が途絶えてしまえば、活動は収縮せざるを得ない。また期間的に見れば、同じ場所で永久的に活動を続けるわけにはいかない。いつかはその地を撤退し、別の場所へ移動しなければならない。

 さらにボランティアによる緑化活動には広がりが生まれにくいという弱点もある。寄付や助成金で木を植えて森はつくれる。しかし、これで終わってしまう。ここからの広がりが生まれない。森は森、木は木それだけで終わってしまう。つまり1,000円分の緑化活動は1,000円分にしかならないのだ。

 何が言いたいかというと、同じ活動をするにしても、その活動を地元の人が進んで継続し、拡大できなければこの広大な砂漠を緑化することは不可能だということだ。地元の人が興味を持ち、進んで活動できる・・・つまり産業と結びつかなければならないのだ。

 このページのはじめから過放牧の問題を盛んに指摘してきた。またカシミヤ産業が中国(モンゴルも含め)の砂漠化に大変大きな影響を与えていることも説明してきた。この産業を無視して砂漠緑化(全ての砂漠地ではなく、少なくとも私達が活動していくクブチ砂漠)は不可能といえる。

 今私達が行っている活動は、流動砂丘を草原に回復させる活動だ。しかも、これは牧民の土地で牧民と共に行っている活動である。地域によっては流動砂丘の土地は政府から無償で地元の人々に貸してくる。しかしながら牧民は流動砂丘を利用することはできない。これは、流動砂丘を緑化する技術、そして緑化する資金がないことが原因だ。私達は現地にある資材で簡単に砂丘を草原(牧草地)に回復することができることを、牧民と共に実践している。この技術については「
流動砂丘の緑化」で紹介しているが、誰にでもできる簡単な技術だ。軌道に乗るまで資金的・技術的に支援することができれば、後は牧民の意志で拡大することができる。

 また、換金作物を作ることもその地に根付いた立派な緑化産業といえる。流動砂丘を固定さえすれば、潅木や牧草は十分育てることができる。砂漠でしか育たない貴重な植物などもある。これらを有効に植えていけば、砂漠に住む人々の生活を十分に豊かにしてくれるはずだ。

 砂漠緑化をボランティアで行なわない。極論かもしれないが、継続していくには重要な要素といえる。何も砂漠を緑化することをボランティアと決め付けなくても、地元の人々の経済活動の結果、砂漠が緑化することで十分なのだ。というよりは経済活動の結果、砂漠が緑化するスタイルでなければ広がりが生まれないのだ。彼らが牧草地を増やそうとすれば、それだけ砂丘は緑化し、換金作物を増やそうとすればそれだけでも砂丘は緑化していく。こういった動きが主流になれば流動砂丘は利用価値のある土地として、地元の人々が取り合うかもしれない。そうなればもうボランティアの力は、もう必要ない。

 ボランティアはそこに緑化産業が根付くまでのお手伝いでいい。砂漠緑化の主役になる必要はない。そうすれば、1,000円の寄付が1,000円で終わらず、何倍にも広がりを持つことになる。